れいわ新選組「山本太郎」の選挙参謀(計画・指導)は、斎藤まさしだといわれています。
斎藤まさしは、山本太郎の初出馬から新党立ち上げの際にも関わってきました。
昭和58年7月17日の産経新聞で、市民の党代表・酒井剛(斎藤まさし)が主筆を務める新聞『新生』に、ポル・ポト派の幹部イエンチリトがメッセージを寄せていたと報じられていました。
1975年から1979年の間に、カンボジアでは共産主義を推し進めたポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)によって大虐殺が行われました。
イエンチリトは、クメールルージュ内部で第3位の地位にあったイエン・サリの妻で、大虐殺を指揮した主要人物だともいわれています。
クメール・ルージュのカンボジア大虐殺を指示していたのが中国共産党でした。
〇200万人の命を奪ったポル・ポト率いるクメール・ルージュのカンボジア大虐殺も、中国共産党(毛沢東)の指示によるものだった
ポルポトは、毛沢東の思想に影響を強く受けた結果、大虐殺を引き起こしたといわれています。
斎藤まさしは、共産主義者同盟の荒岱介との対談で「毛沢東が大好き」と発言しており、毛沢東思想、マルクス・レーニン主義で革命を起こそうとしているとも語っていました。<2011年11月号「正論」誌>
〇「市民の党」斎藤まさしの正体と民主党 <2011年11月号「正論」誌> 野村旗守ブログ
中国で行われた毛沢東主導の政策では、数千万人もの命が犠牲となっています。
毛沢東は人類史上最も多くの人を殺した人物として、ギネスにも認定されていました。
○【毛沢東による四害駆除運動】国家ぐるみで大量のスズメ、ネズミ、ハエ、蚊を殺した結果、生態系が破壊され、4000万人が餓死
○【悪魔の化身=中国共産党】文化大革命は「毛沢東」と「劉少奇」の権力闘争だった! 学生を洗脳し、大量虐殺を実行
○毛沢東による「大躍進政策」は世紀の愚策だった!! 中国の生産力は低下、農作物も収穫できず、大飢饉に陥り4000万人が餓死
また、昭和57年4月発行の機関紙『新生』には、斎藤まさしがクメール・ルージュのゲリラ根拠地を訪問した記事が掲載されており、実際に交流を重ねていたそうです。
昭和58年5月、酒井剛(斎藤まさし)が事務局長に就任した政治団体「MPD・平和と民主運動(政権交代をめざす市民の会)」の結成大会にもイエン・チリトがメッセージを寄せています。
7月17日付の『産経新聞』は、市民の党代表・酒井 剛が主筆を務める新聞にイエン・チリトがメッセージを寄せていたと報じた。昭和58年のことである。新聞は『新生』という名称で、「市民の党」の事実上の機関紙だった。
酒井剛がマオイズムの信奉者で、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)にもシンパシーを抱いていたとの情報はすでに出ていた。だが、ここまで深い繋がりがあったことは知られていなかった。
このイエン・チリトはクメール・ルージュの序列第3位であるイエン・サリの妻で、報道では元社会問題相と表現される。しかし、実際はジェノサイドを指揮した主要人物なのだ。
『産経新聞』の名記者でインドシナ問題の第一人者でもあった故・近藤紘一さんは、クメール・ルージュに捕らわれたカンボジア前国王の証言をもとにこう記している。「後のシアヌーク殿下の発言では、『赤いクメール』内部の実権はすべてポル・ポト首相夫妻、イエン・サリ副首相夫妻に集中し、この“四人組”以外は、何の政策決定にもあずかれなかったという」
(近藤紘一著『戦火と混迷の日々』《文春文庫》42頁)国民の4人に1人、約200万人を短期間で虐殺したという20世紀有数の狂気…
それを支持していたのが酒井 剛だったのだ。さらに、それは個人を越え、党と党の関係にも及んでいた。【ゲリラ拠点を訪問】
「そしてMPDも酒井 剛が作ったもので、開会の大会には、なんとポル・ポト派からメッセージが来るなど公安にマークされている団体です」
衆議院予算委で古屋圭司議員はそう指摘した。『産経新聞』の情報と同一だ。
具体的には昭和58年5月、酒井 剛が事務局長に就任した「MPD」結成大会にイエン・チリトがメッセージを寄せたのである。
「MPD」は「市民の党」と表裏一体の政治組織。「市民の党」が過去にクメール・ルージュと連携していたら…
また、昭和57年4月発行の機関紙『新生』には酒井 剛がクメール・ルージュのゲリラ根拠地を訪問した記事が掲載されていることもわかった。実際に現地を訪れて交流を重ねていたのである。
1975年4月から始まったクメール・ルージュによる凄惨な大虐殺は、リアルタイムでは世界に伝わらなかった。ベトナム軍が1979年(昭和54年)に侵攻するまで実態は不明瞭だったのだ。
酒井 剛が訪れたのは、各国の共産主義者もクメール・ルージュを嫌悪し、一斉に批判し始めた頃だった。世界の潮流に抗うポル・ポト派支持。この事実は酒井 剛が極左ですらないことを物語っている。
クメール・ルージュが政権を追われ、大虐殺が暴かれても強く支持し続けたのが中共(中国共産党)だった。武器とカネを提供してジェノサイドを補佐したのだ。
当時の酒井の行動には、中共の影もちらつく。
斎藤まさしが代表を務めている政治団体「MPD・平和と民主運動」は、
日本学生戦線(共産主義革命を目指す学生運動団体)と、マルクスレーニン主義・毛沢東思想に立脚した新党「立志社」を母体として設立されました。
毛沢東は、マルクス主義(共産主義)を中国社会に導入してきましたが、マルクス主義は悪魔崇拝思想に過ぎず、ユダヤ人の世界支配を目指す運動だったことが分かっています。
○【中国共産党による洗脳】「習近平思想」を国家の教育課程に取り入れ、悪魔崇拝思想に過ぎないマルクス主義の信念を若者に徹底教育
この政治団体「MPD・平和と民主運動」には、菅直人の資金管理団体「草志会」から6250万円の献金がありました。
さらに、鳩山由紀夫の資金管理団体「友愛政経懇話会」から1000万円の献金があり、斎藤まさしは旧民主党の人脈とも密接な関係を築いています。
斎藤まさしは、菅直人の衆議院議員初当選(1980年)の選挙を手伝い、長年近い関係だったともいわれています。
また、鳩山由紀夫は「れいわ新撰組」の公約作りにも関わっており、鳩山由紀夫も中国共産党の手先だったということが明らかになっています。
〇中国共産党の手先「鳩山由紀夫」が政界復帰を表明するも、瞬く間に批判殺到
山本太郎のブレーン斎藤まさし→れいわ新選組の公約は鳩山由紀夫・植草一秀の『オールジャパン平和と共生』の運営委員会の案だと発言。
オールジャパン平和と共生の運営委員会11名の中に『さゆふらっと=平塚正幸』の名が…。
やっぱりお仲間↓https://t.co/BD6kWiXvushttps://t.co/O0Cb8qTxPy https://t.co/htVNUa7sHa pic.twitter.com/s8l0YjzFkx
— Hiro2018 (@white71111) June 29, 2020
山本太郎は「全ての人が平等だ」と耳障りの良い言葉で人々をミスリードし、「外国人参政権」や「外国人に対する生活保護」を推進し、中国共産党による日本の乗っ取り工作に大きく加担してきました。
○【池田大作と金日成の血縁】山本太郎がついに本性を表す 外国人に対する生活保護の必要性を力説
○公明党が「外国人参政権の付与を実現」との公約を発表 売国政党だと国民から批判殺到
○中国人スパイの「山本太郎」がスパイ防止法の制定に反対 ネット上で「スパイ防止法が成立して困るのはスパイだけ」と批判殺到
現在、多くの中国人スパイたちが日本に入り込み、様々な破壊工作を仕掛けていることがTwitterで知れ渡るようになっています。
そして、山本太郎のブレーンである毛沢東主義者の斎藤まさしも、中国共産党のスパイである可能性大です。
日本侵略を計画する中国共産党と、国民を苦しめている全ての悪なる日本の政治家たちが、一刻も早く滅び去りますことを心から祈ります。
〇日本に帰化する中国人は年間3000人〜4000人 中国人スパイが中国共産党から資金提供を受けて次々と出馬